published by Akila Ninomiya (design studio "PENCIL")
先月この地に引っ越して来て、今日がちょうど一ヶ月目です。家具もようやく一通り揃い、やっと安心して暮らせるような環境になりました。
前に住んでいた千本五辻は比叡山から北野天満宮までの旧街道にあたり、今でも商いを営んでるところが数多く残り、住人の感覚もどちらかというと職人気質の西陣とは一線を画しています。
それが今の場所は、モロに西陣です。機織りの音こそしないものの、朝早くに人が動き始め、夕方は何と4時ぐらいから家路につく人がチラホラ。とにかく人のタイムラインが現代とは全く違います。人付き合いもちょっと難しそう。でもそんなバリバリの西陣気質もこれから慣れなくてはなりません...というか、それを楽しみにしていきたいと思います。
そんなココ大宮一条下ルですが、眼につくのはそこそこ大きい鳥居の奥に鎮座している巨大な石碑。そして鳥居の横に掲げられているのは「名和長年公殉節之地」という碑。転居先の裏にあたるココは、南北朝時代に一世を風靡した後醍醐天皇が隠岐に流刑され、再度京都に攻め入るときの名4将(三木一草)の1人、名和長年(なわ ながとし)が戦死した地でありました。
引越前からなんだか誰かに見られているようなオーラをヒシヒシと感じ、引っ越してからもその禍々しい雰囲気に、立ち入ることを躊躇っていました。
しかし地域の住民はなんら問題なく"憩いの場"としてココを活用しているようです。地蔵盆はココで盛大に行われるようですし、数年前までは区民運動会の慰労会(この辺では「足洗い会」と呼んでいます)もココでしていたそうです。西側には児童公園になっているので、絶えず子供の声が聞こえますし、井戸端会議のオバチャンの声や、楽器の練習をしている若い人など、様々な年齢層の人たちがココを利用している様です。
未だになんだか視線を感じているこのオーラ、よくよく思うと、どうやら地域全体を見守っているかのようにも思えます。
但しココ、昭和14年に整備されていまのような形態になったそうですが、その前は「立ち入ると祟られる」と謂れ、誰も近づかないところだったそうな・・・何だかなぁ(苦笑)。
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